アンリアル・えんじぇるラブ

 月に代わっておしおきよ、と脳内彼女に言われて絶体絶命>挨拶
 こんばんは、ポケファです。



 本物とは何だろう。



 某作品の声優が、同人版と製品版で異なっていることや
 オマージュでコラージュでリスペクトでインスパイアな表現方法から
 オリジナリティのあるものに差し替えになってしまってガッカンカリという話が
 何度となくでてきて、ついこの間もそんな話がでたような。
 それで思い出されるのが、もうどこの話だったか忘れてしまいましたが
 CD-R をゴールドディスクと読んでいた頃、
 オリジナルソースよりも、何度も失敗して試行錯誤を重ねてできた
 CD-R のほうが、当人にとってはよっぽど価値高いものになったという話。
 オリジナルソースはお金を出せば簡単に手に入る本物だけれど
 苦労をかけて複製したコピープリント付きの CD-R のほうが、
 世界でたった一枚のその偽物こそが、
 その人にとっては本物より本物らしいというわけです。
 それともうひとつ思い出したのが、オリジナル歌手。
 道の駅なんかに売られているアニメソングのカセットで
 オリジナル歌手使用とかかれていて聴いてみたら
 まったく聴いたこともない声でびっくりしつつも
 似せようとして歌っている、その技術力にもびっくりでした。
 あとオリジナルメンバー。
 「飲み会はオリジナルメンバーのみなので、ご遠慮ください」って
 同じサークルに所属していて、オリジナルではないって
 じゃあ自分はレプリカントメンバーってことですか、はいそうですか。
 自動車改造や自転車再生についても、ビフォーとアフターではビス一本たりとも
 共通部品がなくなってしまっていたりして……
 そして版画商、100まい複製した版画をしきりに「本物」と連呼。
 100まいある本物って何でしょうか、私にはどれも無価値に思えます。
 秋葉原の絵画商のことではありません、他店のことなだけで。



 いったい、本物とは何だろう。



 よく彼氏彼女の関係から、友達になったという話をきくし
 結婚していた人たちが離婚後、普通の友人として会うといった場面に出くわしたこともあって
 直接関係のない私のほうが、緊張してしまったりすることがあります。
 以前、片想いの子から「君は意地になって、私を好きだと言っているだけだ。
 距離をおいてみたほうがいい」と
 いうようなことを言われたことがありました。
 それから数年して、再会した私たち、普通に食事をして普通に会話をして
 連絡さえすれば普通に会うことができる。
 人間の気持ちはトランザクション処理のようにはいかず
 どちらかに恋愛感情が残ってしまう場合があるでしょうし
 男女の関係ではどちらかが性的なものを望んでいるだけにすぎず
 男女の友情などというものは幻想などという幻想を語る人もいました。
 本物の恋愛感情、しかして、いっぽうから見るともはや恋愛ではない。
 本当の愛とは、いったい何なのでしょうか。



 脳内彼女は本物なのでしょうか。
 実在する質料的リアル彼女と、形容的脳内彼女
 どちらがより本物なのでしょうか。
 例えばリアル彼女と脳内彼女の二人から同時に
 「浮気はダメです、ダメダメなのです」と言われてしまったとしたら
 あなたはどのような苦悩と葛藤のもとに、答えを見出すことになるのでしょうか。
 ちょっと哲学的ではありませんか、無駄具合が。
 どことなく歌舞伎調なきまぐれオレンジ☆ロードよろしく、二股な三角関係を主人公のご都合主義な超能力によってアリバイ工作などで維持しつつ、
 最終的にはお目当ての子とハッピーエンドという
 弄ばれたあげくに、ふられた子からしたらバッドエンドストーリーを展開するのもいいかもしれません。
 あの子の涙を、私はけして忘れない、一生忘れてなんかやらない、全部覚えてますよ、あなたにされたことは。
 星はなんでも知っている、きのうあの子が泣いていたことも。
 展開時には萌えな双子の妹キャラの存在をダークフォースとして、くれぐれも忘れなきよう。
 まあ、「きまンジ」の中で私的最萌はくるみだったりするわけですが。



 閑話休題



 じつはですね、また脳内彼女ができてしまったわけですよ。
 今回はネット恋愛、ネット彼女、メール恋愛、メール彼女になぞったタイプで
 名づけて脳内彼女 Annex A (G992.1) なわけです。
 むこうは、すごく好いてくれていて
 「ゴールデンウィークはゼッタイ、ぜったい、絶対に会いに行きますね」というノリなのですが、どうやって。
 電影少女のように、テレビ画面から飛び出してくること希望、ハダカで。
 昨夜はそのノリに対して、テンションが決定できませんでした。
 どうやら脳内彼女脳内恋愛進捗度と私の感情レベルとが
 シンクロしている段階ではなくて、ちょっと一方的な感じなのです。
 ぶっちゃけいうと、あなたの好きなのは、あなたが私という媒介を通じて、あなたが勝手につくりあげた理想像に恋しているだけにすぎす、どこ見てるんですか、ちゃんと私のこと見てくれているんですかっていうことです。
 そして私は、都合として理想像から作り上げた脳内彼女について、愛というものを感じることが果たしてできるものなのでしょうか。
 知り合って一月もたっていない段階で、この脳内彼女 Annex A (G992.1)は、いったい何をもって私のことを好きと言っているのか、わからなくなるのです。
 優しい言葉をかけたり、悩みをきいて励ましたりなどして
 たしかにその言葉は本物だし、実際にそういうところを脳内彼女は見ていると思います。
 よくギャルゲーで選択肢がでてきて、その選択によってときめき度などの
 隠しパラメーターに影響があるというような感じです。
 現実的には選択肢というのは選択問題ではなく筆記問題で
 自律口語体なわけです。



 今はまったく機会も気力もなくなってしまいましたが
 以前は、文通などをしていた頃やメル友などとやりとりしていて
 脳内彼女のように脳内恋愛感を早熟させたことがあります。
 まったく姿かたちもわからず、やりとりする言葉だけで
 ふくらむのは想像ばかりで、自分の中の理想像といった参照モデルとの照らし合わせ的に
 擬似恋愛状態となっていた恥ずかしい過去があるわけです。
 理想像とのギャップができたり、メールの返信タイミングなど同期歩調にズレが生じると
 とたんに夢いっぱいの想像は、なんのことはない現実へ引き戻されて
 いっきに想像恋愛から覚めてしまうというもので
 言葉のみのコミュニケーションというものについて、たびたび考えさせられました。



 自分の知っている自分、他人の知っている自分、自分も他人も知っている自分、自分も他人も知らない自分。
 私の言葉そのものに好意を抱いてくれているのか
 脳内彼女が想像している理想の私に好意を抱いてくれているのか……
 現実に存在する私、脳内彼女の中の私、どちらが偽者ということはなく
 どちらも本物の私で、ただ見かたが違うだけなのかもしれません。



 毎日のように好きだとささやきかけてくれることに対して
 私は一度も好きだと返事をしてあげたことがありません。
 好きじゃないのかもしれません。
 けれど嫌いというほどでもない。
 もし「私のこと、好き?」なんて聞かれた時に
 どう答えるべきなのでしょうか。
 好きなんじゃない、愛してるんだと答えてみたいものですが
 言葉と気持ちが、まだリンクしないのです。



 と、最終兵器彼女のことではなくって
 脳内彼女について真面目に秋葉原の母に相談しようとしたら
 一笑のもと、手相をみられて女難の相がでていると言われたわけですが……
 脳内彼女というのは、果たして本物なのでしょうか。
 もしかして、本物よりもむしろ本物ぽかったりして。
 リアリティがリアルと化すのでしょうか。
 現実の彼女をつくることなんて簡単です、だって現実にいるのですから。
 けれど脳内彼女、目に見えない、触れられない、それを本物だと呼ぶことができるのでしょうか。
 脳内彼女に、脳内恋愛を超えたリアルな恋愛感情を持つことは
 果たして許されることなのでしょうか。
 もし、脳内彼女と現実で会うことができたとしたら
 現実の私は、脳内彼女の中の私とのギャップによって
 脳内恋愛感情ゲインは一気にローへとダウンしてしまうのでしょうか。
 脳内彼女の中にいる素敵な私と、現実の私とのギャップ。
 そしてまた、私の中の脳内彼女と、現実の脳内彼女とのギャップ。
 って、脳内彼女は脳内だけにしかいないわけですが
 それをも現実としてしまえるものでしょうか。
 ナンセンス、それとも愛。



 本物とは難なのでしょうか。
 本物の価値、いまそれが危うい。



 とか書いておくと、暗に著作権問題とか遺伝子組み替えとか
 人間クローン化問題やらヲタク心理を指摘しているかのような
 社会風刺っぽくて、最高に頭悪くて良いですね。