雨のふるココロには、傘がない

 ずっと前から、というよりも物心ついた時からすでに
 自分は人より劣っていて、おかしいのだと、どこか思っていた。
 いや、顔のことじゃなくて──というか顔もそうなんだけど──内面的な部分がです。
 さすがに虚偽性障害とかミュンヒハウゼン症とまではいかないでしょうけれど
 なぜか人に優しくされると戸惑いだったり
 あるいは罪悪感を感じることがあった。
 心理系のことを調べていると、なんだかアダルトチルドレンのような気もしてきたり
 自分をおかしいと思うこの気持ちの正体とは何なのかを探ろうと
 定義に当てはめようとしているのかもしれない。
 それ自体がなんだか、滑稽なことに思えて苦笑いしてしまう。



 人づきあいが下手で、人一倍寂しいくせして、自分からは積極的になれない。
 何らかの使命や状況で、勤務地を転々としなければいけないとか
 もともと孤独を愛する人間なら、独りという状態について感慨さえないのだろう。
 ただ、そうではない人間がとる行為というのは、仮病や自傷であったりして
 自分の書いてきた日記を読み返すと自虐的なんだかどうだか
 とうてい正常な思考とは思えないようなことを、吐き捨てるかのようにして
 醜態を晒すことで、卑怯にも人様の心配を自らに集めようとしていたのでしょう。
 ……そうなのかもしれない、書くことで僕は誰かに「そうじゃないよ」とでも
 言ってもらいたいのだろうか、きっとそうなんだ。
 本当は立ち上がることなんて簡単なのに、弱い自分を見せて同情をかおうとしている。
 同情と愛情の区別もつかなくなってると思う。
 哀れまれることはあっても、いったいこの世界中の誰が僕なんかのことを
 愛してくれるというのだろう、そして、愛してくれたというのだろう。
 デカダンス、自分を愛してない。
 なのに自分が一番かわいいのだろう。
 簡単に人を傷つけるのだから。



 ある人が自殺未遂をしたという話をきいた。
 以前からうつ病パニック障害があるという話をきいていたけれど
 mECTにかけてもらっていなかったとは、80%の人がそれで踏みとどまれるのに。
 医者は希死念虜に気づかなかったのか。
 うつ病自死の決断にいたるのは、年間一万人。
 また、ある人は予告をして、面識もなにもない僕たちは、その場にいるでもなく
 ただネットを通じて話しつづけた、朝まで。
 当日が過ぎ、僕たちはその人に向けて、誕生日の祝いとしておめでとうと書き残した。
 本当か嘘だったのかもわからない。
 ネットでは死んだということにしておいて、実際は生きていてもらっていい。
 悲しみより、怒りのほうが楽だ。
 また、別のところでは予告した彼が生きていて残念だったという言葉をみた。
 予告どおりにならず残念ということではなくて
 そんな嘘までついて、別れをとめようとした、それを残念だとしていた。
 詐病か何かか。



 母と街で偶然出くわした。
 こちらに気づいて笑みを浮かべたのをみて、作り笑いをした。



 俺、死にたいんだ。



 そうは言えなかった。
 良心の呵責が少しでも残っているなら、こんな莫迦げた狂言芝居終わらせるべきだ。
 いったい何を恐れているんだろう、何が怖いんだろう。
 どうしてこんなことしてるんだろう。
 莫迦だな。
 メールがきた、誰からとも知らない人から、仕事のことや悩みについて相談された。
 僕を、ヒッキーで、ニートで、キモヲタで、キティーガイで、童貞で、毒男で、
 ダメ人間だと知っていて、そういう相談しているのですよね。
 この強迫性障害め、お前はがんばんなくったっていいよ。
 他人の不幸を鼻先で笑い飛ばしていたら、ありがとうだなんて。
 そんな目で僕をみるな。
 もういい、独りにしてくれ。



 拒食症の振りをしていた人は、やがて本当の拒食症になってしまうこともあるそうだ。
 自業自得。



 あなたはどこを見ているんですか。
 ちゃんと、私のこと見ていてくれるんですか。
 私のこと好きですか。
 私のこと、愛してくれますか。



 キモチワルイ。





 つーか、ガキんときに僕にちゅきとか言ってあまえてた子がですよ。
 いいですか、驚いてきいてください。
 妊娠したとかいってやがるんですよ、僕以外の子を。
 もう、見てらんない。
 おめでとう。