どうせ暇なんだし禁オナ……ではなく、社会貢献でもしょぅ

 恋人はいません、脳内にしか。
 東京大学物語を読んでいたら、主人公の村上くんは
 暇ができると、ついついオナヌーしていたりするわけです。
 セクールよりむしろオナーヌのほうがご飯三杯はいけたりして
 童貞だったら履歴書の趣味欄に、正直に堂々と言葉を濁さずに
 オナーニュと書いて面接官と談笑の後「帰れ」と言われるべき。
 どうでもいいけど、電話とか写メとかでシコシコーンな声とか画像とか
 送ってくる人がいて、冗談で「グロ画像、脳内ブラクラ」と返事したら
 それ以来、いっさい連絡をよこさなくなりました。
 まあ、自称幼馴染なんてそんなものだ。


 先日、ちょっと路上ライブを見ていたらファンと思わしき方が
 香具師の方に、往年のヲタク誌 OUT のコーナー「M はこうしろ」よろしく
 あれやこれや指導っぽいことを言ってたりしていました。
 「あなたはもっと短いスカートを履くべきだ」とか
 「声が細いのは綺麗だけれど、太くしたほうが聴きやすい」とか
 「間奏中に MC をいれたり、曲前にどういうきっかけで作ったか
  一言二言いれると、聴く側も感情移入しやすい」とか
 何十項目にもわたって言及されていて、もう見てらんない。
 大きな親切、小さなお世話と思いつつも、的を得ていて何も言えないわけです。


 基本的に私は暇というと誤解があるかもしれませんが
 時間がもてるほうです。
 その教えるくんが言っていたことで3年移行説みたいなものがあって
 アーティストは「自分のための3年、友人からみた3年、社会をみる3年」という
 3年というスパンで歌詞や音楽性を変化させていくというのです。
 本当か嘘かもわかりませんが、大段な仮説ではあります。


 INCOMPLETE は、自分視点の自分を描く一人称を書く機会が多いわけですが
 それを二人称にして、いずれは三人称に移行させていくのが大人力をつけるための
 方法論だ──というには無理があると思いますが──ということのようです。
 いまやってることもガジェットいじりから、自転車のほうがメインになってきていて
 平行してホームレス、ひきこもり、ニート、フリーターなどの
 ある種社会性──むしろ、反社会的──なものを題材として
 エントリーしていたりします。
 自転車に乗っていると、これまで見えなかった景色や社会の実態、
 交通の異常性であったり、心と体の健康と環境や経済についてなど
 いろいろ考えたり思ったりすることがあります。
 エコ主義を突き詰めてしまうと、人間自体いなくなればいいじゃんということに
 なってしまいますが、人類の進化と地球環境のありかたから
 駅前の放置自転車などの地域環境など、このままでいいのかなっとふと思います。
 私がいわなくても、何度となくどこかで叫ばれてきた問題ですし
 すでに対策が進められている分野もあります。
 目を向けてみると、至るところに問題があったり、曖昧になっていたりすることを
 感覚として受け止めることができます。
 現場にいってみると、想像を絶する情景が目の前で繰り広げられ
 鼻腔をツンと刺激されたり、その場にいること自体が嫌になるような
 闇がうごめていています。
 すべて問題の解決や解消などは、私ひとりがどうこう思ったり言ったりしたところで
 どうにもならないものではあります。
 けれど、好きなものは好きだと言いたいし、おかしいと思うものはそう言うべきだと思います。
 なんの力があるわけじゃない、地球のことなんか救えない。
 都会の闇に埋もれながら、人波をすれ違う人たち。
 接点なんてないけれど、袖振り合うも縁。
 泣いている女の子が、ほんのちょぴり笑顔をとりもどすことができるのなら。
 こんなに嬉しいことはない。
 人類と社会のために技術で貢献できたら、ほんのちょっぴり素晴らしい。



 と、オナーニの話のあとに、訳のわからない話をして
 内容を破綻させてみるテスト。
 クリックで救える命とかいうのもあるそうですね。
 レッツ、クリックマーでございますわよ。