空腹感が苦痛

 もうずっと前から空腹感を苦痛だと思うようになりました。
 実際に腹痛だというのではなく、そう思うというだけなのですが
 おいしいものを食べられる機会が少なくなっています。
 粗末なもの、それもご飯の炊き加減を間違えてしまったりだとか
 即席麺のつくり方を間違えたりだとかすることがしょっちゅうですが
 もったいなくて捨てることができず、マズイと思いつつ
 口の中に押し込めているような事が、じつはけっこうあります。
 それに加えて、いつご飯を買えなくなるやもしれないという
 不安などもあり、食事がもっぱら楽しくなくなっているのです。
 できれば食べずに過したい、忙しかったころなんかは
 夢中になるあまりか食事のことすら忘れて励んでいたのに
 いまは空腹感をリアルに感じます。
 お腹がすくたび、お腹のなる音をきくたびに
 嫌な気持ちになって、ますます何も食べたくなくなります。
 けれど食べずには生きていくことすらできない。
 自分の意志に反しながらも口に物をつめこむのが億劫なのに
 本当は自分は食べたくてしかたないのだということに気づいてしまったりすると
 なんだか力もぬけきってしまって、あまりの下らなさに笑うこともできず
 かといって泣きたいわけでもない、これを虐めだというのだろうかと
 己の無様さ、愚かさ、生きたいのに生きようともせず、真剣さも気迫さえなく
 海の底に沈んで錆びれ行くがとくの心を呪うようになってしまいました。
 そんな時、ちっとも鳴ろうともしなかった携帯電話なんかがブルブルと振動などして
 物珍しさに見てみると、画面には「エビフライ嫌い、お残しするの」などと
 文字が表示されていたりして、おまいさんはビクトリアンメイデンか
 メタモルフォーゼでも着て一生クラてろと返事でもしたくなるわ。
 まるでトカトントンなわけです。
 今だに私には霹靂を感じることもできず、男の腐ったののけみたくに
 日々都会の寒空の下をのたうちまわっては、あっちへいってはトカトントン
 こっちへいってもトカトントン、それではそっちならどうかと行ってみれば
 やはりと言わずとなトカトントン、もう気でも違ったかのようです。
 そうこうしていたら、おなかのらっぱがプー。
 助けてください、というよりもむしろタスケテータスケテー叫んで
 タスカッタとなったとしても、生きる目的も、助かったところでどうということもなく
 ただ日が暮れて、また日が昇るのを眺めるだけの、空っぽな日々でございます。
 もういいよ。