僕には友達がいない

 彼と出会ってから、もう何年たったのだろうか。
 もう十年ほど前に僕が立ち上げたサークルへ応募してきた彼は
 いまや比類なき人物となっている。


 出会ってすぐの頃に彼の作品を聴いた。
 知人間での彼の作品、そして彼自身への評判は
 僕にとってあまりよろしいものではなかった。
 どう彼と接し、協力してもらうか頭を抱えてさえいた。
 技術力や知識、経験など何においても秀でている彼は
 とても頼りがいのある存在だった。
 たぶん、その頃からの関係であるとか立場であるとか
 彼とのつきあい方については、すでに今とかわらないものができていたと思う。
 僕には器量がなく、サークルは実際のところ失敗に終わった。
 携帯電話を解約するなど、メンバーとの連絡手段もいっさい捨てて
 違う活動へと歩みをすすめることとなり、彼との別れが訪れた。


 別の道に生きようと思った僕はインターネットをはじめることにした。
 真っ先に調べたのは、それまで僕が属していたジャンルの団体や作品、人物についてだった。
 そこは再会の場所だった。
 大阪の人たちがつくっているサイトをみつけ
 そして、彼女をみつけた。
 僕にとって彼女はすべてをくれた人だった。
 彼女は歌が好きな人で、彼女が歩む道を、僕も追いかけるようにして進んできた。
 メールを出してみたら元気にしている様子で、とても安心した。
 僕もサイトをつくっていることを告げると「君らしい場所だね」と言ってくれた。
 優しさも、僕らしさも、みんな君がくれたものだった。
 僕にとってすべては、君だった。
 その頃は執筆活動などをして生活をしていた。
 僕の書いた文章を読んで感動したと言ってくれた女優の方からお誘いされて
 銀座に食事にいったこともある。
 演劇の世界はそれまでの僕の半分を占めていたことだった。


 小学生の頃、学芸会でみた芝居に子供ながら感動した。
 クライマックスシーンで花道をかけた主人公に驚いた。
 あの時にはもう決めていた。
 そして、中学になってからはあの人のいる演劇部にはいった。
 部員は僕以外はみんな女子で、顧問の先生も女性。
 黒一点だった。
 まわりに女性しかいない環境に身をおくことは幼少のころから
 何度となくあって、愛読書は少女まんがだったのを覚えている。
 あの人が自ら書いた芝居に出ることになった。
 中学の頃にやった役は妖精、アンドロイド、幽霊で、まともな人間の役なんて一度もなかった気がする。
 養成所に通いはじめて、少女誌をきっかけに彼女と出会ったのもそのころだった。
 中学最後の年には、学芸会でみたあの人と同じ芝居をすることになって
 自分たちの手で、あの感動を集大成としてかたちにすることができることに興奮した。
 そして、それが次の世代へとうけつがれていく。
 運命的なことに感じた。


 彼との出会いのもととなったサークルは音響劇活動用のものだった。
 卒業してからも、演じる場所がほしくて団体に所属した。
 そこは良いところなのだけれど、僕には不満があって、より思いどおりに演じる場所がほしくなって、大阪の人たちのようにつくることにした。
 演劇ほど大掛かりなことをするのも、アニメのような手間もかけることなく、
 まんがのような省リソースでできて、なおかつ無限の可能性のあるもの……
 それは音響劇だった。
 彼はそれを極めていたと思う。
 聴かせてもらった作品の 15 人ほどの役をたったひとりで演じきり
 音響編集もすべてひとりでこなし、自らのプロモーションでは
 異例の 800 本以上におよぶ作品を頒布した。
 数ある音響劇サークルが頒布可能な量は通常その一割にも満たない。
 彼は、その世界において伝説の人だった。


 インターネットは再会の場所だった。
 別の活動をしていた僕を彼はある時、検索してみたのだそうだ。
 そうしたところ、僕のサイトをみつけコンタクトをとってきた。
 それからは毎日のようにして会うことが続いた。
 ある日、彼から元サークルのメンバーがこんなことを言っていたと聞かされた。

 
 「奴といると幸せを吸いとられる。
  まるで悪魔か何かのようだ」

 
 解散以来、僕は黒い服を着るようになる。
 幸せを吸い取る、死神の格好だ。
 人を傷つけるくらいなら、もう人と関らないほうがいい。
 誰も悲しませたくない、そうすれば誰も悲しまないですむ。
 僕には友達がいなくなった。

 
 それからというものも、彼とのつきあいは続いた。
 共有する思い出は多かった、数え出したらきりがない。
 大阪へのラストラン、チャットルーム、イージーライダー
 僕が行きたいとか、したいと言えば、彼がそれを実現してきた。
 僕はいったい、どれだけ彼から幸せを吸いとって生きてきたのだろうか。


 そうして PocketPC FAN GIRL が立ちあがることになる。
 はじめに僕がしめしたビジョンをうけて彼がクォリティアップをする。
 ぽけラジはうまれた。
 ここまでくるのに十年かかってしまった。
 この十年、いつも僕は無茶苦茶なことを言いつづけてきた。
 その無茶をかたちにしてきたのは彼だった。
 影響をうけた人物は他にもいた。
 しかし彼なしに僕は存在することはなかったと思う。
 僕の影にたち、力となり、支えてくれた人物。


 僕たちはお互い照れくさく感じてしまうところがあるようで
 「こいつなんか友達じゃない」と十年間言い合ってきた。
 本人同士が言うのだから、きっと友達じゃないのかもしれない。
 けれど一緒に夜景をみたのも彼だったし
 終電がさった僕を家に泊めてくれたのも彼だった。
 秋葉原から新宿まで一緒に歩いたのだって彼とだった。
 奥多摩江ノ島まで、二台のイージーライダーを走らせたのだってそうだ。
 INCOMPLETE につきつけられた更新停止要求をうけて
 進んで代理をかってでてくれたのは、彼だ。
 いままさに問題へとたちむかう僕を支えてくれているのは他ではない、彼だ。


 ぽけラジの制作過程において一週間、編集作業をスタジオにておこなうことになった。
 モニターに表示した台本をみながら指示をだす僕と、
 MTR のコンソールを 1 / 1000 秒単位でコントロールする彼がいた。
 神経を集中する作業、それが一週間連続して続いた。
 また僕の無茶苦茶な要求のせいで、大変な苦労をかけたと思う。
 その時だっただろうか。
 いつものように日記に「僕には友達がいない」とネタで書いたのは。
 彼は、嘆いた。
 

 「これだけ苦労してやっているのに、友達だとも思ってもらえないなんて。
  それじゃなんのためにこんなことをやってると思っているんですか !」


 深夜の友は真の友というそうですが
 夜な夜なラ王を食しながら額に汗をたらして MTR に向かっている人たちとは
 いったいどんな人たちなのでしょう。
 人はそれを友達と、呼ぶのかもしれません。
 そんな彼から先日、携帯にメールがきました。


 「うらっ!
  お前の為にスポンジと枕を買っといてやるぞ♪
  今日は私が出しときます(笑)」


 スタジオで打ち合わせとサイトの更新をすませたあとに
 学習ルームへ泊まりにいくと、低反発枕が用意されていた。
 いつか時が訪れて、すべて終わる日に
 「お前のお陰で良い人生だった」と、俺が言うから、必ず言うから。
 ま、ちょっとは覚悟はしておけ。


 僕には友達がいない、ちょっとしか。
 十年間ありがとう。