徳永英明さんの歌「SMILE」を聴いていて
この歌は僕の愛し方の理想に近いと思っています。
といっても、遠距離恋愛がしたいわけではなく
そうなってしまったからなのかもしれませんが
そうでなくても、遠くからでも相手を想いつづけていたい
という気持ちが、それなりに強いのかと想います。
「離れて行くほどに、君は近づいて」という歌詞なんて
もう直球なわけで、僕は声を中にして言いたい、名曲だと。
目にも見えず、振れる事もできず、時々手紙を交換したり
電話で声をきくくらい、言葉だけが流れていく関係でも
心から相手を思いやりたくて、幸せを願いつづけたいわけです。
他の人と結ばれることになったって、幸せならそれが何よりだと
思いますし、ただ抱きしめてあげれるのが僕じゃなかった
というだけのことです。


同じ徳永英明さんの歌で「太陽がいっぱい」というのがあって
その歌を好きだという人と大阪で話しをしたことがありました。
たぶん、それは彼の愛し方なのだと思います。
とても暖かくて、限りなく優しい。
ほほを濡らしていたあの子の涙をぬぐったのは彼だったのでしょう。
本当に相手のことが好きなら、一番近くにいてあげるべきです。
手をつなげて、髪をなでてあげられる距離にいないと。
どうして幸せにしてあげることができるでしょうか。
その時ほど、距離の大きさや重さを思い知ったことはありません。
いつも一緒に、いつでも隣に、手を差し伸べてあげられなければ
どうして一緒に生きていくことができるでしょうか。
好きなら抱きしめてあげるべきだし、キスするものでしょう。
遠く離れていて、どうやってそれができる。
言葉でいくら愛しているだの、好きだの言ったところで
そんなものは幻じゃないのかな、現実に存在する子ではなく
自らがつくりあげた理想の彼女像みたいなものに
勝手に恋しているだけで、本当にその子のことを見てあげているのだろうか。
だから、他の人でもいいのだろうか。


もし目の前に、その胸や唇、声や髪、そして心と体を
自分のものにする男が現れたら……
耐えられるかよ、そんなの。


僕は物質的なものより精神的なものを大事に思うほうで
心と体の距離だったら、心の距離を縮めたいと思っています。
体がどんなに離れていたって、想いを感じることができたら
それが良いと思うのです。
体を重ねることは、僕にとって快楽という解釈があって
愛ゆえというか、精神的なものより欲求のほうが
比率が高いのかと思ってみたりしています。
精神的な結び付きが強ければプラトニックで良いと思うわけです。
僕にはロマンチックなものというよりも、下劣で低俗な感じというか
そういう誤解があるようでヘンに行為に関して好意的になれない
ところがあるようです。
まわりの女性に自由な考えをもった人がいるというのも原因なのかもしれません。
はじめて会った日に僕をモバイルされて、部屋までお持ち帰りされたりとか、
会ってまもなくのうちに「ウホッ、イイ男、やらないか ?」みたいな
感じだったりとかするのは、ちょっと勘弁してもらいたいです。
愛がないと、かえって空しくなるだけで興ざめするいっぽうです。
近づかれると近づかれるだけ、遠くに思える気がします。


……というようなことを女性誌で読んだ気がします。
まあ、経験のないダメ人間な僕にはわからないことですし
「彼女をつくらないタイプじゃなくて、
 彼女をつくれないタイプ」の僕には一生縁ですね。
相思相愛って、どんななんでしょうね。
片想いしかしたことありません。
童貞はヲタの証、僕は一生童貞を貫くであります。