僕はすっかり年をとった。
 以前の僕は声という魔法の世界に憧れていたし
 じっとしていることができず、事務所の門を叩いたり
 劇団やサークル、演技を見れることろ、聴けるところ、
 演じることができるところ、いろんな場所をみつけては
 台本に書かれたセリフを読んで、身振り手振りをつけて、
 カメラに姿をおさめてもらったり
 声をとっていただいた。
 そのころ、僕のまわりには演劇仲間しかいなかったと思う。
 人の芝居をみると素直に感動した。
 その裏腹に自分には真似することのできない繊細な表現に
 僕は、悔しさだったり、劣等感だったり、憧れだったり、
 いろいろな気持ちになって、手にした台本がボロボロになるまで
 何度も読んでは声にだし、テープにとっては聴いてみた。
 舞台にもたったし、スタジオにこもった。
 本格的な金魚蜂の中にはいった時は無音空間にこの身が震えた。
 卓上のいくつものつまみやスライダーのついたメインコンソール、
 ラックの中につまった機材、その中に僕の声が電気信号となって
 記録され、そして再生される、そのクリアな再現力のあまりの澄みやかさに戸惑うほどだった。
 夢中だった。
 僕は自分自身の可能性を知りたかった。
 表現力なんてまるっきりなくて、棒読みやヘンな抑揚ばかり
 キャラクターの真なる姿を正しくつかむことができず
 自らをコントロールしきれないまま、ただ声を張り上げた。
 僕は寂しくて寂しくて、ひとりの時間が怖くて
 だけど演技をする時には必ず相手役がいて
 誰かが僕のつたない演技をほめてくれた。
 いっぱい叱ってもらったし、殴ってもらったりした。
 芝居をすれば誰かがそばにいてくれる。
 僕が僕として生きていくためには、演じることしかなかった。
 はじまりは小学生、学芸会でみた夢から覚めた夢をみて
 子供ながらに衝撃を感じた。
 たぶん、感動なんてものじゃなかったと思う。
 あれから、いくつ年をかさねただろう。
 何人出会って、何人別れて、いったいいくつもの出来事を過ごしてきたことだろう。
 そして、夢はどこへいったのだろう。
 もう僕には演じる気力もなければ、醜態を世間に晒す勇気もない、
 表現方法がかわったり、生活自体が別のものになってしまったせいもあるかもしれない。
 もう僕に夢をかなえるだけの力は残っていないけれど
 誰かに夢を託すことはできるのかもしれない。
 僕のカメラで切り取ることはできやしないだろうか、心を。
 芝居の世界を生きたからなのかもしれない
 モデルには姿を求めるのではなく、心がほしい。
 役者がセリフに感情をこめるだなんて間違いだ。
 感情にセリフがのればいい。
 人形なんてほしくない。
 誰かについてきてほしかったんじゃない。
 一緒に歩いていきたかっただけだ。
 一緒にいたかったんだよ、それだけでよかったんだよ。
 だけど、それだけじゃダメなんだね。
 僕には人を傷つけることしか出来なかった。
 裏切ることしか出来なかった。
 これからは、優しくなろう。
 もう僕は僕じゃない、そしてこれからも僕は僕のまま。
 何もできやしないけど、何かができるわけじゃないけど
 応援する気持ちはもっていたい。
 僕みたいな人をこれ以上ふやさないために。
 僕みたいな人にならないでね。
 誰かがもっている美しい世界を汚してしまわないように
 僕はやさしい人になりたい。
 大切なものを大事に思っていこう。
 世界を美しく描いていこう。
 もう何もなくしたくない、何も失いたくないから。
 優しくぃょぅ(=゜ω゜)ノ




 ……以上、携帯電話の裏蓋をなくしてしまったというお話でした。
 いや〜、某はてなダイアリーで裏蓋をなくしてしまったという人がいて
 どうしたらなくせるのかと思いましたが、自分もなくしてしまうとは……
 とほほな感じです。