夜景サイトの写真
ハードディスク内のデータが肥大化して容量が圧迫されてきたので
必要性のなくなったファイルを削除したり、重複しているものを統合するなどしていました。
写真のフォルダの中にダウンロードした夜景の写真がでてきました。
僕は夜景を見るのが好きです。
夜景そのものの息をのむ美しさ、展望台のロマンチックな雰囲気、幸せそうに夜景を眺めている恋人たち、その中に身をおくことで僕も幸せになれるような気がします。
寂しくなった時、夜景を夜景を眺めにいって静寂の中、目の前に絢爛豪華に広がる夜景や、質素ながらも灯りのひとつひとつに佇まいを感じるような夜景を目に焼き付けては、夜景の中へと飲み込まれていくことが好きです。
ほんのひととき、あるいは一瞬かもしれませんが、それだけが僕の永遠です。
もっとも東京は高層ビルがめまぐるしい速さで次々と立ち並ぶので、夜景も移ろいいくものです。
時には新しくたった高層ビルのために、それまで見えていた部分が覆い隠されてしまったり、光量が強すぎてしまったりして、美観をそこねてしまうこともあります。
とてもとても悲しいことです。
僕は寂しさや悲しさを忘れないために、夜景を眺めているのかもしれません。
ひとりで観る夜景というのは寂しいものですが、だからこそ浸ることができます。
鏡をみることより、夜景を眺めていたほうが、もっと深いところで自分と対話できるような気がします。
風のようにして飛び交う、雲のように流れ行く、意識をつかまえに行く場所と時間なのかもしれません。
怒りも憎しも嘆きも、悲しさ寂しさ切なさ、楽しい気持ち、うれしい気持ち、何もかもが闇の底へと落ちて消えていく、すべてが無に帰る刹那の予感に満ちていきます。愛する者への想いも。
函館山の夜景などは、この世界の終わりを思わせるほど妖しいまでの幻想美でした。
終焉は美しくありたいです、それまでの過程を美しく綴っていきたいです。
僕は醜く汚らわしい愚か者だから。
夜景の場所を解説されたサイトを見てはその場所に行ってみる日々が続きました。
夜景サイトの写真と肉眼で見る写真は違った感じで、実際のものよりも光が強く色彩にあふれていて、まるで絵に描いたものかのようです。
デジカメで写したものは何かゲームのグラフィックのようでもあり、現実感のない虚像を見るかのようです。
僕も携帯のカメラで夜景の写真ばかりとっていますが、さすがに専用のカメラとは比べようのないものですが、ビジュアルメモという用途で記憶を導き出す補助として使っているだけです。
以前は写真なんて現実にある一瞬をただ切り取っただけのものでそれを作品とよぶことを理解できずにいました。
時間をかけて絵を描いて、納得ができずに描き直して、ようやく完成するという生み出しの苦労に比べると、ただシャッターを押した瞬間にたまたま写っていたもの、もちろん狙って撮ってはいるでしょうけれど、そんなもののどこが作品であるのかと思っていたくらいです。
それが今では夜景サイトで見る写真たちをみると、これは作品でしかないと思うようになってきました。
だってあまりにも現実離れしています。
肉眼で見たレインボーブリッジはあんなに光り輝いていないし、聖路加から見た夜景はあんなに煌びやかではありません。
都庁から見た夜景、シビックセンターから見た夜景、テレコムセンターから眺めたあの夜景、新宿センタービル、野村ビル、NS ビル、キャロットタワー、恵比寿ガーデンプレイス、上柚木公園、レインボープロムナード、電通ビル、北とぴあ……
実際の夜景をみて、写真をみると臨場感も現実味も感じません。
写っているものは現実の姿ではなく、ただの虚像です。
写真なんてシャッターを押せば勝手に絵が撮れるみたいに考えていて、スナップ写真ばかり撮ってきました。
僕はたんにシャッターを押下するだけのシャッターマンですが、夜景サイトの方々はカメラマンでしょうし、コンテストなんかで優勝したりする人たちなんていうのは写真家なのかもしれません。
僕を美しい夜景のある場所に導いてくれたたくさんの写真たち、その場所へ行ってからは写真を見る眼がかわったような気がします。
頭弱いですね、僕は。
六本木ヒルズの夜景も見にいきたいです。